大江戸ファッション事始め
後期:2011年5月1日(日)~5月26日(木)
※前後期で展示替え
4月4・11・18・25・27~30日/5月2・9・16・23日は休館となります。
大江戸ファッション事始め展作品リスト [424KB]
はじめに
あらゆる流行が生まれては消えていく現代においても、私たちを魅了し続ける着物。日本の誇るこの服飾文化が大きく花開いたのが江戸時代でした。泰平の世が続くなか、一部の特権階級だけでなく、経済的に裕福になった町人たちも「装いを楽しむこと」に情熱を傾けるようになったのです。厳しい身分制度にも関わらず、ときには武家より町の女性たちのほうが、高価な素材や技術を凝らした衣服を身につけることさえありました。江戸幕府はたびたび贅沢な装いを禁止する法令を出しましたが、人々は裾模様や裏模様などを工夫してファッションを楽しんでいたのです。
当時の風俗を写した浮世絵からも、あらゆる階層の人々が装うことに喜びを見出していたことが伝わってきます。浮世絵師たちは、季節やイベントによって異なる着こなしの様子や、簪や帯といった小物へ向けられる女性たちのこだわりを描き留めています。画中に見られる色や柄の合わせ方も実に多彩で、髪型やメイクも多種多様です。江戸の人々にとって、ファッションが生活を彩る重要な要素であったことがうかがわれます。
本展では浮世絵を通して、日本人の感性が育んだ服飾文化の魅力に迫ります。浮世絵に描かれる江戸っ子の多彩なファッションから、着こなしのテクニックを盗んでみるのも楽しいかもしれません。
1.江戸のファッションリーダー ―歌舞伎役者VS花魁―
江戸時代のスターであった歌舞伎役者と花魁のファッションは、大きな影響力を持ちました。たとえば市松模様は歌舞伎役者、佐野川市松が用いた石畳模様に由来します。ほかにも江戸紫など、役者が好んだ色や模様で庶民に愛されたものは枚挙にいとまがありません。花魁が身につける高価なアクセサリー、髪型や化粧法は女性たちの羨望の的であったでしょう。偽鼈甲の登場や、遊女が紅を重ねて唇を玉虫色に光らせた笹紅という化粧法の流行などがみられました。
2.四季の装い ―シーン別着物の着こなし―
江戸時代には端午(5月5日)や重陽(9月9日)の節句を区切りに四回の衣替えが行われ、衣服によって季節感を表す習慣が普及していました。花見にあわせて新しい小袖をあつらえ、夏には涼やかな浴衣で夕涼みにでかけ、残暑の残る秋には団扇片手に月見や萩見。冬には防寒用の頭巾もおしゃれのアイテムとして活躍します。季節による着物の素材や着こなしの変化を、江戸っ子が大いに楽しんでいたことを伝えてくれます。3.小物大好き! ―こだわりを競う―
現代の私たちは様々な小物も自分の好みにあったものを選びおしゃれを楽しみますが、それは江戸っ子も同じです。黒髪を飾る櫛や簪、着こなしのアクセントとなる襟や帯、はては頭巾や手拭い、下駄にいたるまで、小物へのこだわりを存分に発揮しています。4.男の装い
男性たちもまたファッションに情熱を注ぎました。あらゆる文化の発信源であった吉原に通う男性に向けては、いかにスタイリッシュに装うべきかを指南したスタイルブックまで刊行されています。一方で「火事と喧嘩は江戸の華」ということばに象徴されるように、威勢が良く男気にあふれた男性も江戸っ子には好まれました。浮世絵に描かれる、趣向を凝らした袢纏や羽織、手拭いを身につけた粋な男達は、こうした江戸っ子の好みを反映しています。
<見どころの一点>
勝川春潮 「橋上の行交」天明~寛政年間(1781~1801)頃 (後期展示予定)
橋の上ですれ違いざまに視線をかわす3人の若い男女。江戸時代も中期以降になると縞や裾模様などの渋いデザインが人気となります。男性は紫の羽織に縞の小袖。渋い着こなしを帯と鼻緒の赤が引き立てます。黒い頭巾を襟に巻くのも当時のおしゃれでした。頭に挿すのは、亀戸天神境内にある妙義社の縁日で授けられた雷除けのお守り。人が溢れるイベントの日、江戸の人々もおしゃれをして出かけたことがわかります。対する女性陣も負けてはいません。横の髪を燈籠の笠のように広げた灯籠鬢(とうろうびん)や黒い掛襟はこの頃から流行したもの。若者が流行に敏感であったのは今も昔も変わらないようです。
入館料
一般 | 700円 |
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大高生 | 500円 |
中学生以下 | 無料 |