『追憶の広重 -浮世絵歴史散歩』
様変わりする東京に、150年前の「江戸」を見つけよう
7年後にオリンピックをひかえ、急激に様変わりしつつある東京。新名所・東京スカイツリーや、アニメ文化の発信地・秋葉原など、刻々と姿を変えていく東京の町並みには、意外にも東京がまだ「江戸」であった時代の痕跡が数多く残っています。風景画の巨匠・歌川広重が晩年の傑作「名所江戸百景」シリーズを描いたのが、今から約150年前のこと。約120図に及ぶシリーズには、1850年代の江戸のさまざまな場所が生き生きと写し取られています。広重が描いた絵と同じ場所に、2014年の今、立ってみたら―。それが本展覧会のテーマです。全く失われてしまった名所、形を変えて生き残っている名所、150年前と全く変わらない景色など、「江戸から東京」への、さまざまな場所の時間の流れを辿ってみませんか?再開発が進む御茶ノ水・秋葉原界隈
江戸から変わらぬ眺めとは?
近年、複合型商業施設が次々にオープンし、急激な様変わりを見せる御茶ノ水。アニメ文化の聖地であり、メイド服姿の女性たちが道行く人に声をかける秋葉原。新しい東京の姿を象徴する街の一つであるこの付近を、江戸の浮世絵師・歌川広重は絵に写しとっています。「名所江戸百景昌平橋聖堂 神田川」は、昌平橋から御茶ノ水方面を眺めた図。昌平坂や湯島聖堂の見える風景は、現代でも予想以上に当時の雰囲気を残しています。様変わりする新しい街のすぐそばに、意外な江戸の痕跡をたどることができるのです。三井財閥の中心地・三越前付近
江戸時代には富士見の名所だった?
通りをはさんで両側に立ち並ぶのは、暖簾に染め出された「井」の字に「三」の紋から、当時全盛を誇った三井越後屋の建物であることが分かります。越後屋が位置していた駿河町は、富士山が見えることからその名がついたとも言われ、当時、富士見の名所として知られました。本図にも、雲の向こうに大きく富士が描かれています。実はこの絵に見える通りは、現在で言うと日本橋三越本店と三井本館の間の道に当たり、本図はこの通りを西に向かって描いたものです。描かれた建物は大きく様変わりしていますが、両側が三井関連の建物であることに変わりはなく、江戸から続く歴史を感じることができるでしょう。オープンして一年を経た新名所・東京スカイツリー
もしスカイツリーから江戸の景色を眺めてみたら?
2012年5月にオープンして一年半を経た東京スカイツリー。今では東京タワーに代わる新名所としてすっかり定着しました。スカイツリーのお膝元・浅草も多くの観光客でにぎわいを見せています。もし、江戸時代にスカイツリーがあったら?―そんな空想に答えるような絵を、広重は描いています。「東都名所 浅草金龍山年之市群集」はスカイツリーとは言わないまでも、かなり高いところから見下ろす「俯瞰(ふかん)」の視点で浅草寺の歳の市の様子を捉えた作品。広重の想像力が、そんな楽しい空想を可能にしてくれるのです。同時にこの絵からは、江戸時代も今も変わらない、歳の市の賑いをうかがい知ることが出来ます。
失われた江戸の名所
三十三間堂は江戸にもあった?
画面を斜めに横切る細長い建築物が描かれています。どこかで見覚えのある建物の名称は「三十三間堂」。と言ってもお馴染みの京都の三十三間堂ではなく、かつて江戸・深川にあった三十三間堂なのです。三十三間堂の端から端まで矢を射通す「通し矢」という競技が京都で流行し、その流れで江戸の浅草に同様の寺院が建てられました。元禄11年(1698)に焼失しましたが、その後深川の富岡八幡宮付近に再建され、通し矢も行われたということです。残念ながら明治5年(1872)には取り壊され、現在では絵の中でのみその姿を偲ぶことができる、失われた名所となりました。
入館料
一般 | 700円 |
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大高生 | 500円 |
中学生以下 | 無料 |
イベント
学芸員によるスライドトーク
本展の担当学芸員が見どころをご案内します。
日程 | 3月5日(水)・15日(土)・19日(水) |
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時間 | 14:00~(40分程度) |
場所 | 太田記念美術館 視聴覚室(B1) |
参加方法 | 申込不要 参加無料(要入場券) |