いざ討ち入り! 浮世絵忠臣蔵
はじめに
今から約300年前に起きた赤穂浪士による仇討ち「元禄赤穂事件」は、現在でもしばしば小説やドラマ・映画化され、多くの人に親しまれています。元禄15年(1703)12月14日、播州赤穂藩の藩主浅野匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇をとるため、47人の浪士が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の屋敷に討入り、その首を打ち取りました。まさに劇的といえる事件の内容は、当時の人形浄瑠璃や歌舞伎にも盛んにとりいれられます。中でも「仮名手本忠臣蔵」は高い人気を誇り、初演から250年以上を経た現在でも上演が繰り返されています。当時の流行を写し取るメディアであった浮世絵にも、忠臣蔵の物語はさまざまな形で取り上げられました。「仮名手本忠臣蔵」の舞台や、出演した各時代の歌舞伎スターたちがしばしば描かれることはもちろん、時には登場人物を女性に置き換えるなどのユニークな趣向も見られます。今に残る、忠臣蔵を題材とした数多くの浮世絵は、江戸の人々のこの物語への熱狂や、深い愛着を伝えてくれるのです。
現代からみても興味の尽きない忠臣蔵の物語。浮世絵に描かれたその世界を通じて、改めて忠臣蔵の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。
1.描き続けられた仇討ちのストーリー
北斎・豊国・広重・国芳―。当時の人気絵師たちは、さまざまな趣向を凝らして忠臣蔵を浮世絵に描きました。歌舞伎の舞台を写しとった役者絵はもちろん、浮絵(遠近法を強調した浮世絵のこと)の手法で忠臣蔵の物語を描く形式も人気を呼び、多くの作が出版されています。また、忠臣蔵の登場人物たちを当時の美人や動物に見立てた浮世絵まで、バラエティに富んだ作品から忠臣蔵の高い人気を偲ぶことができます。2.仮名手本忠臣蔵と江戸のスターたち
元禄赤穂事件は、事件後からすぐに人形浄瑠璃や歌舞伎へと取り入れられます。この事件を題材とした数多くの狂言が作られる中、その決定版とも言える「仮名手本忠臣蔵」が人形浄瑠璃で上演されたのは事件から50年近く経った寛延元年(1748)のこと。翌年には歌舞伎でも上演され、以降、各時代を代表する名優たちが忠臣蔵の登場人物を演じ続けました。本展では浮世絵に数多く写し取られた、名優たちの姿をご紹介いたします。<見どころの一点>
歌川国芳「蝦蟇手本ひやうきんぐら(大序・二段目)」
幕末の奇才・歌川国芳による一点。上の絵が仮名手本忠臣蔵の大序、下の絵が二段目の松切りの場面を描いています。よく見ると、役者の顔がカエルになっていることに気づきませんか?絵のタイトルは「蝦蟇手本ひやうきんぐら(がまでほんひょうきんぐら)」。忠臣蔵の登場人物に扮するカエルたちの顔は、人物によって細かく描き分けられているようです。実はこのカエルたち、四代目中村歌右衛門など、当時の人気役者の似顔をカエル風にアレンジしたものなのです。現代の目から見ても思わず笑みがこぼれてしまう、国芳らしいユーモアのセンスにあふれた傑作といえるでしょう。
入館料
一般 | 700円 |
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大高生 | 500円 |
中学生以下 | 無料 |